うすうす気づいてはいたのだけど
あまり踏み込んではいけないじゃないかと思って
あえて見ないようにすることが
だいぶ習慣づいてしまった気がする。
クレジットカードの暗証番号を見ないように
ひとが携帯を触っていたら画面をみないようにするとか
配慮というかプライバシー保護というか
昔はそういうところからのいろんな情報を得ていたのに
あえてやらなくなったのって
なんでだったかな。
趣味は人間観察ですって主張していたくらいなのに。
今はあえて人間を見ないようになった。
つい気を抜くと、気になるものをじっと見てしまう。
いまだに時々注意されることだ。
大人になったから
周りが不快を感じないように、その場の空気に合わせるために
見ない、ことを意識していたら
見れなくなってきた。
しまいには気づきさえしなくなってきた。
意識づけと習慣とはこわいものですね。
そういえば、昔より怖がりになったなぁ。
年齢を重ねて今までいた家族とは違う家族を作っていくのって
この、怖いって気持ちも関係しているのかもしれないな。
まぁなんにせよ、見えなくなってきことは不本意なのです。
前日現状をまずいなと気づくことがあったので
もう一度気づくことを忘れないように「見る」ようにしようと。
観察することをやめてはいけない。
そうあたらめて感じた蒸し暑い7月。