誰に対してでもない

はい。


自分の頭の中は自分しか覗くことができないのに、
言い訳やかっこつけが生まれるのってなぜでしょう?

 

自分で本当に思っていることはわかっているのに
さも何も知らない人に説明するかのように言い訳をしている。

 

これっていったいどういう状況なのでしょうか。
一方、明らかに嘘を言っている子どもを見守るようなところもあって。
話し手と聞き手のどちらもを一人でやっているかのような感覚。

 

そして、こういった一連のことに呆れているギャラリー視点の自分もいて。

登場人物としては
1.言い訳をしながら自分自身に呆れている人
2.あきらかに建前だと分かりながら俯瞰で見ている人
3.この一連を一つの現場としてディレクションしている人

 

おそらく、昔自分を失わないために手に入れた精神構造だとは思うのですが
今さらこのややこしさが面倒になってきています。

 

気を抜くと、いろんな視点が一気にやってくるので
常にその時に必要な要素以外を抑えながらバランスをとる。

頭に浮かぶ要素が似ているのであれば
バランスをとる必要なんてないのかもしれなけど、
それぞれの要素や視点が方々に飛び散っていてまとまりがないから
そういう状況に陥っているのか。

考えることが止まらないとうのは生きてる証なのでしょうか?

 

こんなことを日常的にやっているから、
休みの日は泥のように眠ってしまうのでしょうかね。
ラボはおやすみですよ~ってな感じで。

 

感覚として思ったことをそのまま事実として受け止めて
感情や状況を乗せずに素材として揃えるだけ。
そういう頭の中になったらいいのに。

 

周りのだれのためでもなく
自分のためだけの頭の中くらい
取り繕うことなくそのままでいられたらいいのに。