原因が解かれば。良いものだと分かれば。
涙を流せるのは、まだ限界じゃないってこと、
そして、涙を流すことは「リラックス」につながるいいこと。
それを知れて、じゃあ大丈夫かなと思えた。
いろんなことが一気に起こっていて
自分では気づかなかった(気にしていなかった)けど
なんなら、以前問題となっていたことが落ちついているとさえ感じていたけど
同時に起こったそれぞれがちょっとずつ影響して
積み重なっているんだ、と人から言われて初めて
あ、そっか、実はちょっといっぱいになっていたんだな。
じゃあしょうがない。
と思えた。
なにかがスッと落ちた気分。
何かおかしいなと思ったところで
原因と言えそうな事象が出そうと思えばあるけど
(思い当たる節は8個くらいある、しかもやりたくてやっていることもある)
見ないフリして、「原因がわからない(または”ない”)」
その一言でくくってた。
実際はこれらに心を支配されたくなくて、
こんな簡単に持っていかれそうになる弱い自分を
認めたくなかっただけかもしれない。
自分で自分をややこしくしてるところ、あるなこれは。
落としどころの有り無しは、こころの安定感に影響する。
本当かどうかはさておき、決めることで楽になることもある。
人に話す良さはこういうところなのではないかと思う。
フィードバックもしかり、話して整理されることもある。
今回は自分の頭の中にはなかったことだから、
話をすることで、あることなのだと知れたことで
現状を抜けるキッカケをもらった。
一昨日とは打って変わって
目の前にあることに向かえるくらいの気力は戻ってきた。
吐き出しの重要性、また、吐き出せる場所があることの再認識は
またひとりで立つ支えになってくれる。