大丈夫の基準が下がりすぎている

人にはそれぞれ基準があって、
その基準を元に起こる事象を分類している。


先日、知り合いが足を骨折して入院した。
数年前に脳梗塞を患っていたため脳の機能が心配されたがこちらは問題はなく、
足の手術が無事にすんで、現在リハビリに取り組んでいるそうだ。

 

手術から2週間ほど経ったので退院の日程を聞いてみたところ、
昨日、今度は院内で転倒したという話を聞いた。
原因はまだ聞けていない。

おでこに赤たんはできたものの、脳梗塞にもなってないし、
意識ははっきりしているし大丈夫とのこと。

 

それって大丈夫なの?
これらももちろん大事なことではあるにせよ、
生死に関わる部分だけが切り取られるような状態なのか?

 

手術した足はどうだったのか?
痛みが増したりしているのではないか?

 

おでこに赤たんができているということは、手が出ず、頭から落ちたことが想像できるし、その際にはおそらく膝もしくは腰を強打している可能性もある。
また、経験上、手術箇所に負荷がかかることで直りが遅くなったり
痛みがさらに増すことを知っている。

 

ただでさえ人生初めての手術で不安な気持ちであるだろうに、
それがさらに増している可能性だってある。
それは大丈夫なのか?励ましてくれる人はいるのか?

 

通常であれば、お見舞いに行って声をかけることができるのに
今のご時世、面会が許されず、面と向かって感触を知ることができないもどかしさに
何とも言えない気持ちになる。

 

大丈夫というのは、事象の一部を主観で切り取ったものを判断した
局部的な言葉に聞こえてくる。
それがだめというわけではないけれど、今回の機会を経て、
大丈夫という言葉がいかに伝達する人の主観に左右されるか
ということを改めて考えることになった。


大丈夫ってなんだろう。