先のことは分からない。予測ができないことは良くも悪くも「ある」

ノストラダムスはえらいことを予測してくれたもんだと今更ながらに思う。
そしてそれを信じた大多数の方もお痛み入りますといった感じ。


今日が最後と思って生きるのって結構きつめ。
それが毎日だと、なかなかにエネルギーを使う。


別に生死にかかわらず、
「今回が最後かもしれない。」
と考えて動くのも悪くないけれど、
続いてほしいと願っていることを毎回今回が最後だと思って過ごしてみた結果、
なかなかに疲れることが判明した。

 

以前であれば、この言葉を抱えていれば
どんなことにもキラキラと取り組めるなんて考えていたけれど、
やってみるとこうも違うものかと。

 

そして、いい意味ではない方で
この状況をやめたい衝動と葛藤することが増えてくるから
精神衛生上良くないと気づいてしまった。


まじめすぎるのか?


別にいつ終わってもいいや~くらいの方が自分には合っているし、
明日がある、と、希望を持って生きるのもいいじゃないか
とも思ったりして。

バランスかなぁ。