関係性によって異なるアプローチ

自分のことが極めて負担になっていないと感じる友達がいる。
気持ちや体がしんどい時は人に会いたくないと思うところ、
この人はしんどくても会える、むしろ会いたいと思う時があるほど。
そしてお互いそう思っているとわかっている。
もし誰にも会いたくなかったらそれを素直に伝えてくれるし
ある意味、関係性に対して絶対的な信頼感のある友達。
言っていることに忖度や遠慮、嘘がない。

 

だからこそ、なんのためらいもなく心配できるし
何のためらいもなくできることは全部したいと思える。

 

そう考えると、多くの知り合いに対しては
心配することでさえも
おせっかいなんじゃないか
連絡して、返信しなきゃと思わせたら迷惑なんじゃないか
そもそも心配されるような関係性じゃないのにめんどくさがられるんじゃないか
気を遣わせたくないから今後連絡しないでおこうと思われるんじゃないか
などと、いろんなことが考えられて
気に掛けることでさえも躊躇してしまう自分がいることに気づいた。

 

心配するのは勝手だけど、
それを相手に伝えるのかは考えないといけないらしい。


距離感とは難しいもので
この人から言われるのはいいが、この人からは言われたくない
みたいなものがあって、
しかもポジティブな内容でさえもこれが当てはまることがある。
そして、相手と自分の関係性に認識違いがある場合、
ちょっとしたひずみが生まれる。
セクハラとかもこれに該当するものがあるんじゃなかろうか。

 

最近は踏み込むことに難しさを感じる世の中になっていて
人間関係を深めることに少し怖ささえ感じてもおかしくない。
昔は相手を知りたくてどんどん質問したり、話を聞いたり、
いわゆる会話、コミュニケーションをとれるような
もっとシンプルな構造だったと思うのだけど。

 

文化の違いから、自分の発想にはないところに地雷があって
相手がそれを教えてくれる場合はまだマシで、
知らない間に地雷を踏んでいて、
知らない間に距離を取られることだってあるような時代だから
慎重になってしまうのかもしれないなぁ。

 

配慮や思いやり、言い方を工夫することは必要だけど、
思ったことを伝える、受け取る、こういったコミュニケーションは
今後、さらに大事になってくるような気がする。

 

そうなると、何を意識したらいいんだろうか。