ダンスという表現方法

世の中の何人が踊れるんだろう

 

街行く人たちを眺めていた。

お仕事帰りのサラリーマン、
バイトに向かう学生、
デート中のカップル、

いろんな人がいるなかで
今にも踊りだしそうな人って一人もいない。

 

でも踊るソウルを持っている人はたくさんいる気がする。


ある友人は、見た目は非常におとなしく
パソコンに向かってきっちりお仕事するサラリーマン風。
ところがどっこい、急に激しくダンシングできる人でもある。
ギャップが激しすぎる。

 

そんな知り合いがいるからか、
澄ました顔して歩いていたって、
乗れる音楽さえかかってしまえば
ビートを刻んでしまう人が紛れているのではないかと期待してしまう。

いるのでしょう、ほんとは。
熱いビートを秘めている人が。

 

そんな風に考えてもう一度街行く人を眺めてみると
全然違う景色に見えた。
踊りゴー待ち、爆発寸前なひとたちに。

 

ダンスでも歌でも文章でも何でもいいのだけれど
表現はそこら中に転がっている。

感じ取ろうとするか、
イメージの政界ではあるけれど、
その可能性に一切目を向けないのと
「ある」かもしれないと思うのでは、まったく別の見え方になるのですね。