空調のせいで乾燥する、それは果たして本当か

顔がかぴかぴになるのです。

なぜか自分のデスクにちょうど風が当たるので、

ずっと顔にぬる暖かい風を受けている状況があるのですが、

これはしょうがないことだと、特に気にも留めていませんでした。

 

たまたま空調の操作盤の前を通ったので何気なく見ていると

風の向きが調整できる仕様になっている。

そりゃそうですよね。

最近の空調はどれだって風向き変えられますよね。

 

、、、!

この角度!!!

5段階ほどの調節ができる風向きが、

ちょうどわざわざ顔に風が当たる角度で固定されている!

 

角度を変えてみました。

 

顔の乾燥が著しくマシになりました。

なんだったんでしょう、この2か月の顔の負担。

 

 

前提を疑え。

そうですよね、その時に与えられた状況が必ずしも最善とは限らないし、

変えられないものであるわけでもなし。

 

思っているよりも

世の中も調整できるものがあるかもしれません。

 

 

 

ムラコシオニメ

パッと見て、これが何か分からなかったのですが何ですか?

 

ムラコシ オニメD

 

メールに入ってきた広告で目についた字面。

 

時期も時期ですし、どっかの高級なチョコレートか

はたまた、ひな人形か何かの種類か

もしくは最近家具を検索していたので、家具のメーカーか

 

あまり想像が広がらないまま、リンク先に飛んでみると

 

 

ネジでした。

 

ムラコシ精工という企業の作る、組み立て式の家具などに使われる鬼目ナットと使用するねじだということです。

 

なるほど。

 

カタカナにされると分からないことがあるなぁと思う今日この頃です。

 

 

ふくらはぎがパンパンに張るのはなぜ

検索窓をタップすると検索履歴が出てくる。
さらぁ~っと見てみるだけでも、
どのタイミングでどんなことに興味があったかが分かるので面白い。

 

基本は単語だったり、
引っかけたい言葉がいくつかある場合は
「◯◯ ◯◯◯」
のようにスペースで区切って検索している。

 

その中で文章がひとつ。

それがこれ。


ふくらはぎがパンパンに張るのはなぜ

 

なぜ文章にした自分。
なにも考えずに純粋にすぐ知りたかったんでしょうね。

検索の言葉を選ぶことで上がってくる結果がわりと変わる。


検索のワードセンスって大事。 

きりわけ

他人と自分を切り分けるように
本音と建前も切り分けられていればいい

 

整理整頓という言葉のように
自分のなかでも分けてしまう。

 

本音と建て前

 

ごっちゃにさえならなければ
使い分けたって問題ないし、
その方が過ごしやすいってこともある。

 

嘘がないことが必ずしも正義ではない。
バランス。

 

今どの位置にいるのか、どんな感情なのか
それを自分が分かっていればいい。

 

認識をせずに何となくでやってしまうと
染み付いて分からなくなる。
そこから抜けないと苦しいだろうな。

 

手から離れるタイミングがあることで
より大事にできたりしますよね。

なんかいい

良く分からんが良いもの。

 

なんとなくいい


なにがどうって説明できないけど良いと感じるもの。

それっておそらくは絶妙にちょうどいいんでしょうね。

 

そういうのって自分の中の「良い」の基準は既にクリアしてるので、迷ったらそれを選べばいい。
それ以上のものがあれば別の選択をしたらいいだけの話。

 

それはいいのか?

たまたま通りがかった喫茶店
全面ガラス張りの窓際で男女が談笑していた。
デートかな?

 

店が近づくにつれ、違和感を感じた。
女性の指が鼻の穴に差し込まれている。
差し込まれ続けている。

 

いいのか?

 

そんなことは関係なくにこやかな様子。
微笑を携えてうなずく際もずーっと差し込まれたままの指。
ゆうに第2間接まで入っているのではないか。
一方、そんなことは何も気にならない様子で話を続ける男性。


いいのか?!
いいのかそれで?

 

もう、この女性の指が鼻の穴と共同体になっているのはデフォルトなのか?

だんだん近づき、通りすぎる際
気づかれないように横目で現場確認してみた。

 

指は柔らかく折り曲げられ、
指の面を鼻の下にぴたっと添わして穴が完全にふさがる形でポジショニングされていた。

 

、、、あ。入ってない。

 

あれかもしれない。
鼻骨で頭の重心を支えるスタイルなのかもしれない。


花粉症なのか、クセなのか、はたまた相手がえも知らぬ匂いを放っていたのか。

 

真相は分からないけれど、
鼻の下に指をずーっと添わせておくのは、なんとも不思議な気配を漂わせるので、通常の会話では気を付けようと思った一コマでした。

出来る人が出来ることをやる

それが全て。
もちろん能力開発は必要だし
出来たことのないことへの挑戦の機会や
訓練する期間は大事だと思う。

 

ただ、メインで、できること、できやすいことに邁進するというのは
生産性を高めることにつながる。


ということは、自分ができることを探す手助けができる社会構造になれば
生きづらいと感じる人が減るのでは?

 

特性を生かして
多様性を認めるにとどまらず高めていく
そんな社会を見てみたい。

 

息苦しいと感じる人が減ることで
そういった人をサポートできる人が増える。
うなぎ登りに良い社会じゃないの。